- トムソン・ロイター
- 【Westlaw Japan】 東京大学大学院
日本国内のコンテンツとリーガル・ソリューションに加え、トムソンロイターのグローバルコンテンツとソフトウエアソリューションを含む総合的な法情報オンラインサービスを法律事務所、企業、教育機関、政府機関へ提供するウエストロー・ジャパン。
今回は、同社サイトの「判例コラム」に定期的に寄稿されている東京大学大学院法学政治学研究科の田村善之教授に、判例評釈や法律情報の収集方法などについてお話を伺った。
──知的財産法がご専門で、著書・論文のご執筆や判例評釈を行っていらっしゃる田村先生ですが、判例評釈について教えてください。
判例評釈は、論文のなかでも裁判例を批評することを目的とするものです。多少のばらつきはありますが、個別の判決や決定を取り上げて、事案を要約し、判決文のなかから重要と思われるところを抜き書きしたうえで、それを検討するパーツに分かれていることが普通です。
ただ、スタイルはわりと共通しているのですが、その手法にはさまざまなものがあります。一般に多く見かけるのは、判決文中の理由付けとして書かれた文章をあたかも一つの学説と同じように論評するものです(このタイプの判例評釈は「民商型」と呼ばれることがあります)。他方、判決文の文章を論評するのではなく、判決が事案に対して下した結論を(その理由付けとともに、あるいはその理由付けとは無関係に)分析し、同様の手法で分析した従来の判例との関係を明らかにして、判決がいったい従来の判例に対して何を付け加えたのかという観点からその位置づけを明らかにするタイプのものもあります(このタイプのことを「判民型」と呼びます。なかでも、特に理由付けを見ることなく、事案と結論との関係で判例を整理するタイプのものを、私は「徹底判民型」と呼んでいます)。
前者の判例評釈も、もちろん目的次第で意味のある論文になることは疑いないのですが、要するに、学説と同じように「判例」を分析しようという手法ですから、とりたてて「判例評釈」というジャンルの論文として分類する意義はあまりありません。他方、後者の判例評釈が独自のジャンルとしての意味がある理由は、判決の理由付けとして用いられている文言は、一般に多義的であり、事案への当てはめが一義的に決まるわけではない以上、最終的にはその当てはめのところで訴訟の勝敗が決するわけですから、その当てはめの傾向を含めて(あるいはその当てはめの傾向のみを)分析する作業が必要である、というところに求められます。まさにその作業をなすのが(判民型の)「判例評釈」ということなのです。
このお話は、長くなってしまいますので、詳しくは、田村善之「判例評釈の手法-「判民型」判例評釈の意義とその効用-」法曹時報74巻5号961~1031頁(2022年)をご覧いただければと思います。
──日々、必要な法律情報をどのように収集されていますか。
世のなかには新しい裁判例や文献が出るたびにそれをチェックするタイプの方もいて、それをソーシャル・メディアを通じてネット上で拡散される方も少なくないように思います。ただ、私は同時並行で複数の作業をなすことを苦手としており、なるべく一つ一つものごとを仕上げていくようにしているので、判例評釈や論文を書くときに一挙に関連する情報を収集し分析するというスタイルをとっています。そもそも体系的に自分の中で位置づけないと記憶できないという性分なので(そのため、文脈抜きで遭遇したときに人の顔や名前を思いだすことができず、いたるところで失礼をしています)、断片的に情報を得ても全く血肉にならないという問題もあります。ただ、そうはいっても、知財のように動きが激しい分野で早めに視野を広くもつことは重要なので、情報収集の遅れを少しでも小さいものに止めるために、知的財産法の分野における重要な判決や論点に関しては、なるべく早く判例評釈を論文に書くこととし、その際にはなるべく網羅的に情報を収集するようにしています。
──ウエストロー・ジャパン社の「判例コラム」でも先生の寄稿をお見受けいたします。
慣例で、知的財産関係で上告が受理された場合の最高裁判決と知財高裁の大合議判決に関しては私が担当することになっているようで、他に、これらの素材が途切れている時期などには、特に重要と思われる知財関係の裁判例をとりあげることもあります。先に述べたように、私は判例評釈や論文を書くときに関連する情報を一挙に収集するスタイルをとっているので、半ば強制的に、重要な判決が出た直後に判例評釈を書かせていただけることに大変感謝しています。また、私は「知的財産法政策学研究」という雑誌の編集や発行を取り仕切っているのですが、この速報的な仕事である「判例コラム」掲載後に、その後の情報も収集して、再度、「知的財産法政策学研究」に判例評釈を執筆することを常としており、そのようにして速報的な情報収集と相対的に網羅的な情報収集の作業の役割分担を図っています。その意味で、「判例コラム」は私の研究のなかで欠かせないパーツとなっています。
──「東京大学先端ビジネスロー国際卓越大学院プログラム」主催、ウエストロー・ジャパン社共催のオンライン・セッション『先端ビジネスロープログラム講演会』について詳細を教えていただけますか。
東京大学では先端ビジネスロー国際卓越大学院プログラムのコーディネーターをつとめています。このプログラムは、文部科学省の卓越大学院に社会科学で唯一選ばれているプログラムでその分、責任も重いのです。そのようななか、ウエストロー・ジャパンには連携機関となっていただき、リーガルテックの分野において共同してオムニバス的に様々な講師の方を招く「ウエストロー・ジャパンセミナー」を共催いただいています。リーガルテック活用の現状を把握するとともに、関連する法規制の解釈論や立法論、さらにはリーガルテックが法学研究の手法や法学そのものに与える影響を検討することを目的としています。一般にオンラインで公開する形式で遂行していますので、もし機会があれば読者の皆さんにもアクセスしていただければと思います。
──グローバル化に関してはどのようなお考えをお持ちでしょうか。
研究に限ってのことしかわかりませんが、これまで国際的な研究会等を開催しようとすると、どうしても物理的に現地に出かけて行ったり、こちらに招いたりしており、予算的にも時間的にも相当のコストが伴っていました。それが、いまではオンラインの設備が国内外で普及した結果、場合によっては自宅にいながらにして国際的な研究会等に参加することができるようになり、コスト的に頻繁かつ大規模なイベントも相対的に容易に開催できるようになっています。また、国外の様々な大学がオンラインのセミナーを実施しており、先端ビジネスロープログラムの学生さんにもそのような機会を存分に活用して、国際的な情報の摂取に努める方が増えています。私自身が国際的な研究の舞台に頻繁に登場するようになったのは40代になってからでしたが、これからは研究の早期の段階でグローバルな交流が容易となるわけで、そうした機会を活用する方が周囲に多いことに心強く思っています。
──法律を学ぶ学生、また、社会に出たのちに法律関係の業務に携わる方に向けてメッセージをお願いいたします。
最初に判例評釈の手法として述べたところにも関わりますが、法律の判断の先には、それによって得をしたり損をしたりするなど、さまざまな影響を被る人が存在します。法学は、そのような生身の人間の生の利益を意識したミクロ的な学問であることを忘れないようにしなければならないと思います。他方、法学というものは、ただ後ろ向きに紛争を解決するためだけの学問ではなく、社会を動かしていく制度設計のマクロ的な学問でもあります。そうしたミクロとマクロの交錯が、法学の難しいところでもあり、面白いところでもあります。社会にすでに出ている方にはいわずもがなのように思いますが、学生さんにはこうした法学の難しさと面白さを伝えることができるようにしたいと心がけています。
──ウエストロー・ジャパン社には今後、どのようなことを期待されますか。
近視眼的には、「判例コラム」でのお付き合いをよろしくお願いしたいというところですが(笑)、巨視的には、AIを活用したグローバルな法律情報の収集がますます重要性を増していくなか、そうした変革に適応したリーガルサービスの開発が加速化されていくのではと予想しています。そのような変革が、法学研究の手法というだけではなく、その中身にどのような影響を与えていくのか、あるいは与えていくべきなのかということが気になるところですので、今後も先端ビジネスロー国際卓越大学院プログラムの連携機関としての立場からさまざまな助言をいただければと思います。